第22章 「可惜夜に眠る 中編**」
「あの子が自分から……あの海から這い上がってきてくれなきゃ、意味がない」
五条はそう呟くと、固く閉ざされた帳の闇を見つめた。
その瞳には、最強の呪術師でさえ干渉できない、もどかしさが滲んでいる。
「呪いを祓うよりキツいよね、人の未練を掃うのは」
吐き出すようなその言葉に、伊地知はハッとした。
未練。
それは彼女が抱える、故郷への想いか。
亡くなった家族への執着か。
あるいは――
生き残ってしまった自分への、罰のような感情か。
「……五条さん。もしかして……気仙沼で、何かあったんですか?」
核心を突く問い。
けれど、五条はそれに答えなかった。
肯定も、否定もしない。
ただ視線を外し、再び手元のスマホに目を落とす。
「べつに」
短く、素っ気ない返事。
けれど、その沈黙が何よりも雄弁に物語っていた。
あの場所で、五条でさえ踏み込めない、あるいは拒絶された「何か」があったのだと伊地知は悟った。
「僕が手錠をかける前に……あの子自身が、その呪いを解けるかどうか」
「ま、今回はその前哨戦ってとこかな」
五条はニヤリと笑ったけれど、その目は笑っていなかった。
「それにね」
五条は目隠しの端を指先で押し上げて、伊地知を見る。
その瞳は、蒼く、冷たく澄んでいた。
「あの花冠の魔導。……の『心』そのものなんだよ。極限状態に追い込まれた時、どんな花が咲くのか。見てみたいでしょ?」
「……だから、この現場を選んだんですか?」
伊地知は深いため息をつき、それ以上何も言えなくなった。
遺体が見つからない、土砂崩れの跡地。
彼女のトラウマを意図的に抉るような場所を、五条はあえてこのタイミングであてがったのだ。
それは、教師としての期待か。
男としての試練か。
あるいはその両方か。
「ま、心配するなって。本当に死にそうになったら、僕が介入するから」
「ギリギリまで、手を出さないつもりですか」
「当っ然。そうじゃなきゃ意味ないでしょ」
五条はふと視線を外し、帳の降りた空を見上げる。
「……早く僕の手を掴んで、」
誰に聞かせるでもないその低い声は、森を吹き抜ける風に溶けて消えていった。