第6章 「月夜、心を濡らす」
「……やっぱり、は笑ってる方がいいね」
唐突な言葉に、は息を呑む。
心臓が跳ねて、笑顔が一瞬で固まった。
その一言だけで、さっきまでの他愛もない空気が、少しだけ違う色を帯びていった。
(……どうしてそんなこと、急に言うの)
胸の奥が熱くなって、視線を合わせられない。
「……な、なかなか復旧しないですね。補助監督さん、心配してるかな」
照れ隠しに、わざとらしく話題を切り替える。
それでも、まだ心臓の鼓動は収まらなかった。
五条はそんなの様子に気づいているのかいないのか、口元だけで笑った。
また、エレベーター内が沈黙する。
金属の箱の中、非常灯の赤が二人の影をじわりと溶かす。
そのとき、五条が静かに口を開いた。
「……この前は、ごめん。驚いたよね」
低く、穏やかな声。
その言葉が、の胸の奥に静かに落ちた。
(……先生から、その話を……)
驚きに胸が詰まる。
けれど、ずっと喉の奥で渦巻いていた言葉が、自然とこぼれ落ちた。
「……どうして……キス、したんですか?」
勇気を振り絞って見上げた視線が、五条の横顔にぶつかる。
五条は一瞬だけ黙り込んだ。
そして、ほんのわずかに口元をゆがめて――
「……じゃあさ、もなんでキスしようとしたの?」
その言葉に、の呼吸が止まる。
(……っ!)
あの時のことが脳裏によみがえる。
訓練場で、悠蓮の声に惑わされ、理性のタガが外れかけた瞬間――
自分から五条に触れようとしてしまった、あの記憶。
顔が一気に熱を帯びる。
「……それは……」
言葉にならない。
五条はそんなの様子をじっと見ながら、穏やかに続けた。
「先にキスしようとしてきたのは、そっちでしょ?」
目隠しの奥の視線は見えない。
でも、こちらをまっすぐ貫いていると錯覚するほどの存在感があった。
(……先生は、どう思って……)
喉が乾き、声が出せない。
それでも、伝えたかった。
「……あの時は……」
勇気を振り絞る。
でも続きは言えなかった。