第5章 「境界に口づけて」
翠の瞳がを真っ直ぐ見ている。
白い着物が鏡の中でゆらりと揺れ、まるでガラスの向こうからこちらへ滲み出そうとしていた。
『おまえはようやく気づいただけ。欲しいと。愛しいと』
鏡の中の女は、口角をわずかに上げて囁く。
「……やめて……」
震える声が勝手に漏れた。
女の瞳が、鏡越しにを絡め取る。
喉が焼けるように熱くなり、涙があふれた。
(……いや……いやなのに……)
鏡の中の女が、自分の顔と重なっていく。
もうどこまでが自分で、どこからが“あの女”なのか、わからなかった。
女が、ゆっくりと手を伸ばした。
ガラスを隔てているはずなのに、今にも触れられそうなほど近い。
『これは運命だ、』
その声音は甘く、残酷なほど優しい。
(……運命……?)
思考が溶ける。
抗わなきゃ、と思うのに――体がもう動かない。
女の白い指先が、鏡越しにの頬へそっと触れたような錯覚がした。
冷たくて、でも心地いい。
(……ああ……もう……)
何も考えられなくなった。
――その瞬間。
視界が闇に閉ざされた。
床のタイルも、鏡も、あの女も、すべてが音もなく溶けて消える。
残ったのは、底の見えない黒い水の中に沈むような感覚だけだった。
そして――の意識は、途切れた。