第16章 「心のままに、花が咲くとき」
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潮の香りを含んだ風が、街路の植え込みを揺らす。
かすかな砂の音と、濃い夏の光だけがそこにあった。
家の前までたどり着くと、私は深く息を吸い込んでインターホンを押した。
ピンポーン、と乾いた電子音が響く。
数秒後、がちゃりと音を立てて玄関の扉が開いた。
「ん……あれ? この前の子じゃねえか」
顔をのぞかせたのは、あの時の――
事故にあった観光船に乗っていた、副船長だった。
「今日は……なんの用だ?」
無精ひげの生えた顎をさすりながら、男が眉をひそめる。
その姿に、私は思わず指先を握った。
「……今日は話したいことがあって、来ました」
声がかすかに震えた。
でも、視線はそらさなかった。
「少しだけ、お時間いただけませんか?」
男はしばらく訝しげに私の顔を見つめたあと、
ふっとため息をつくように顎を引いた。
「……まぁ、いいけど。上がんな」
玄関の靴をよけて、男が中に入る。
私は小さく頭を下げて、後ろ手にドアを閉めた。
リビングに通された先は、生活感のある古びた部屋だった。
風が抜ける窓のそば、木のテーブルに男が腰を下ろす。
「……で?」
男が胡坐をかきながら、煙草に火をつける。
火種の音とかすかな煙の匂いが鼻をついた。
「おまえ、心霊現象調べてた学生だったよな? まだ調べてんのか?」
私は首を振った。
「いいえ。今日は“調査”じゃありません」
そう言って私はカバンの中から――
あの貝殻のキーホルダーを取り出して、机の上に置いた。
「……これに見覚えがありますよね?」
男はちらりとテーブルに置かれた貝殻に目をやると、
鼻で笑うように言った。
「見覚えって……ああ、うちの船でも売ってたやつだな。どこにでもあるだろ、こういうの」
「そういや、あの事故で死んだ……女の子も持ってたっけな」
そう言って、男は煙草をくゆらせる。
「……だから、それがなんなんだよ」
声が低くなる。
目線が一瞬逸れたのを、私は見逃さなかった。