第15章 「その悔いは花冠に変わる」
***
夜十時を過ぎたころ、私は再び旧港へと足を運んだ。
街の灯りはこの辺りまで届かず、海辺はまるで世界から切り離されたような静けさに包まれている。
月明かりだけが頼りだった。
空には雲が薄くかかり、時おり月を隠しては、影の輪郭を曖昧にしていく。
(……夜は少し冷えるな)
昼間の湿り気とは違い、夜の潮風はひんやりとしていた。
(……大丈夫。落ち着いて)
自分にそう言い聞かせながら、小太刀を握る手に力を込めた。
少し躊躇してから、私は足を踏み出した。
ロープをくぐり、波打ち際へと向かって歩く。
どこかで波の音が微かに響いている。
けれど、それ以外に音はなかった。
虫の声も風のざわめきも、ぴたりと止んでいる。
私は足音を立てないように歩きながら、ゆっくりとあたりを見回した。
桟橋のあたり。
崩れかけた柵の影。
海へと続くコンクリートの縁。
何も見えない。
何も感じない。
それでも、どこか空気の層が違っている気がした。
(……変だな。さっきより、冷える――)
そのときだった。
「――おねえちゃん?」
背後から、ふいに小さな子供の声がした。
けれど、それははっきりと聞こえた。
私は、ぴたりと動きを止めた。
(……え?)
心臓の音が、どくん、と一拍遅れて聞こえる。
冷たい汗が背中をつたうのがわかった。
なのに、すぐには振り返れなかった。
(……今の、声。まさか、これが――)
(……みんなが言ってた、“子供の声”?)
口の中がひどく乾いていた。
けれど、ゆっくりと呼吸を整え、意を決して振り返った。
月明かりが、雲間からふと顔を覗かせる。
そこには――小さな女の子が立っていた。