第9章 「あなたの知らないさよなら」
「……を逃がしたの、お前だろ」
五条の低く落ちた声が空気を変える。
深雪は、ほんの一瞬だけ瞬きをした。
それから目を細め、首をかしげるように笑った。
「……何のこと?」
スコップの土を落としながら、言葉を続ける。
「――あ、生徒さんのこと? ちゃん、だっけ?」
五条の視線は、なお鋭いまま。
だが深雪は、それに気づいていながらも、あえて気づかぬふりをしているようだった。
「聞いたよ〜。なんか突然消えちゃったって。上も行方分からずじまいで、査問会も取り消されたんでしょ」
「生徒さんの行方は心配だけど――」
ふふっと笑いながら、ラベンダーの鉢を少しだけ動かす。
「これでよかったかもよ。未来ある若者が、処刑されるなんて――さすがに可哀想だもん」
深雪が言い切る、その寸前――
五条が低く、しかし鋭く言葉を差し挟んだ。
「……僕が、知らないとでも思ってるの?」
視線は冷えきっていた。
静かだった空気が、ひりついた静寂に変わる。
「日向家が裏で使ってる海外経由の逃亡ルート――まだ潰れてなかったんだ」
深雪の指先が、ぴたりと止まる。
「……なに、それ。いきなり」
軽く笑い飛ばそうとする声に、かすかな揺らぎが混じっていた。
「日向家は、呪術界において“呪具の管理・修復・保存”を担う家系だ。なのに――」
その声は静かに、だが容赦なく続く。
「一部の呪具を“紛失”扱いにして、海外に横流ししてるよな。呪詛師との取引目的で。小遣い稼ぎのつもりか知らないけど」
深雪は、口元にはすでに笑みはなく、何も言わない。
「……まあ、言い訳したいならすればいいさ。どうせもう、上には報告したから」
言葉は淡々と、それでいて突き放すように。
「で、そのルート――今は呪詛師の逃亡にも使われてるらしいな」
深雪の肩が、わずかに動く。
「も、そこから抜けたんじゃないのか?」
その問いに――
深雪は、ゆっくりと顔を上げた。