第8章 「この夜だけは、嘘をついて」
「……先生の前から、消えるって……どうすればいいんですか」
深雪は短く息を吸い、迷いのない瞳で告げた。
「呪術界から――“”という存在を、完全に消すの」
が息を呑む間もなく、深雪は続けた。
「査問会までに日本から出るの。日向家には、海外への秘密ルートがある。上層部も知らない。あなたは呪力がないから、追跡もほぼ不可能」
「……この方法なら、誰も傷つかなくていいんだよ」
は小さく息をのむ。
「……誰も?」
「そう。ちゃんは、今の人生を捨てることにはなるけど――」
深雪の声が、ためらいがちに落ちる。
「――殺されることはない。悟も……守れる」
の膝の上で、組んだ指が小さく震えた。
深雪はそんな様子のを見つめ、静かに言葉を継いだ。
「……ちゃん。もしも――」
ふと、深雪のまなざしが、ほんの一瞬だけ揺れた。
「悟のことを、ただの憧れじゃなくて、本当に“好き”なら……」
ひと呼吸置いて、言葉が落ちる。
「――どうすべきか、わかるよね?」
その声音に、押しつけがましさはなかった。
ただ、静かで、避けようのない現実だけがあった。
のまつ毛が、わずかに震える。
それは“恋”に向けた祝福ではなく、“恋”が終わるための合図だった。
深雪は、ふっと表情を和らげる。
「……ごめんね、急なことでびっくりしたよね。でも、前向きに考えてほしい」
それだけを残し、椅子から立ち上がる。
足音が遠ざかり、カフェのドアベルが小さく鳴った。
一人残された席で、は視線を落としたまま動けなかった。冷めたカップの縁に指先が触れる。微かに震えているのがわかる。