第8章 「この夜だけは、嘘をついて」
胸の奥に、冷たいものが落ちる。
(……そんなこと、人に言われなくても)
(とっくに……わかってる)
その背中が、どれほど多くの人に期待され、縛られているのか。
それでも、自分の方を見て笑ってくれることが――どれだけ、無茶で、危ういことなのか。
――それでも。
先生が笑うたびに、その隣で笑いたいと思ってしまう。
たったそれだけが、それだけが、
どんな理屈よりも強く、の胸を打つ。
机の下で、指先が膝の上をぎゅっと握り締められる。
言葉にはできない願いが、胸の奥で疼いていた。
そして――
カップの中の紅茶が、わずかに揺れた。
深雪が、そっと視線を上げる。
けれど、その瞳にはもう、笑みの欠片すらなかった。
の鼓動が、一瞬、息を呑むように止まる。
深雪は、ただ静かに言った。
「……悟の前から、消えて欲しいの」
その声音には、冷たさよりも切実さが混じっていた。
まるで、それが彼を守るたったひとつの方法だと信じ込んでいるかのように。
「悟は――守りたい誰かのためなら、平気で怪物にだってなるから」
深雪は膝の上で手を組む。
その指は、ほんの少し震えていた。
「お願い。……これ以上、重荷を背負わせないでほしいの」
胸の奥で、なにかがきしむ音がした。
反論したい言葉はいくつもあった。
でも、それを口にすれば――この人が先生をどれほど大切に思っているのかを、否定することになる。
だから、唇は動かず、ただ痛みだけが胸いっぱいに広がっていった。
やっとのことで、喉の奥から言葉を押し出す。
「先生の前から、消えろなんて……そんなの……」
そこまで言って、唇が震え、言葉が途切れる。
言いたいことは山ほどあるのに、喉の奥に引っかかって、うまく出てこない。
涙にもならない感情だけが、胸の奥で暴れていた。
でも、負けたくなかった。
自分の想いも、先生の笑顔も、
「なかったこと」にされたくなんてなかった。
だから――