第8章 「この夜だけは、嘘をついて」
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昼下がりの中庭は、柔らかな陽射しの奥に、初夏の気配が忍び込んでいた。
は人気のない中庭で、ひとり練習を続けていた。
――あのとき、訓練場から逃げるように出てきてしまった。
五条と深雪が言葉を交わす様子を、どうしても最後まで見ていられなかった。
二人の間に流れる気安さ、遠慮のなさ。
その光景がふっと浮かんで、胸の奥がつんと痛む。
(……先生、あんなふうに笑うんだ)
指先に力が入る。
けれど、すぐに小さく首を振った。
頬をふくらませるようにして、呟く。
「……もう。今はそれどころじゃないから」
自分に言い聞かせるように、そっと息を吸い込む。
「練習、練習……魔導、出てこいってば……!」
その手には、摘んできたばかりの小さな花が握られていた。
校舎裏で見つけたマーガレットやビオラ、クローバー――
(……花が関係するか、ダメ元だけど)
そう自分に言い聞かせながら、両手を胸の前で重ね、ゆっくりと目を閉じる。
その瞬間、手に持っていた花からひとひらの花弁がふわりと舞い上がった。
胸の奥が熱くなり、全身を駆け抜ける鼓動とともに、光の粒がゆっくりと輪を描き始めた。
息をするたび、世界が一瞬だけ研ぎ澄まされていく。
――もう少しで何かが形になる、そのとき。
「ちゃん?」
近くから柔らかな声がして、ははっと目を開けた。
……すべてが、静かに引いていた。
光の粒も、空気の熱も――まるで夢の中の出来事だったかのように。
ただ、手のひらに残る花の感触と、風にさらわれた一片の花弁だけが、それを確かに物語っていた。
振り返ると、日傘を傾けた深雪が立っていた。
淡いクリーム色のワンピースに陽が透け、栗色の髪が風に揺れる。
「……ごめんね、取り込み中だった?」
そう言って、深雪は少しだけ首を傾げる。
は思わず、手の中の花をぎゅっと握りしめた。
「いえ。……あ、五条先生なら、今日は任務ですよ」
「知ってる。今日はちゃんとおしゃべりしたくて。……甘いもの、好き?」
「えっ……?」
驚きの声が自然と漏れる。
深雪は微笑んだまま、日傘をくるりと回した。