第8章 「この夜だけは、嘘をついて」
「硝子、もうちょいリアクションってもんがあるでしょ。たとえば『えー!? 意外と照れ屋さんなのね〜!』とかさ」
「五条、恋愛に関しては童貞だろ」
「つらっ……」
五条はわざとらしく大きく肩を落とす。
硝子は思わず足を止め、横目でそんな彼を見る。
「好きだって伝えろ。……それができないなら、その子を泣かせる前に、離れたほうがいい」
五条は少し考えて、視線を夜空に向けた。
「……わかった。やってみるよ」
だがすぐに、肩を揺らして笑う。
「ま、なんとかなるっしょ。僕、最強だし」
そう言って手を振り、廊下の先へ歩き出す。
その背中を見送りながら、硝子はわずかに目を細めた。
(……ほんとに、わかってんのか)
背を向けた五条に、ふと思い出したように声をかけた。
「あんまり強引に進めるなよ。向こうも初めてで、戸惑ってるだろうから」
五条の足が、ほんの一瞬だけ止まる。
(……あれ? 僕、硝子に相手のこと言ったっけ?)
だが、それ以上深く考えるのはやめて、何事もなかったようにまた歩き出した。
硝子はその背を目で追いながら、カバンからタバコを取り出した。
カチリと火をつける音が、廊下の静寂に小さく響く。
吐き出した煙が、ぼんやりと夜の闇に溶けていく。
窓の外――群青の空は雲ひとつなく、星々が冷たく瞬いていた。
硝子は細く息を吐きながら、その光をしばらく見上げる。
(……夏油。聞こえてる?)
心の奥底で、もういない友へ語りかける。
(あんたが言ってた“一生に一度の日”――どうやら、本当に来たみたいだよ)
唇の端に、わずかな笑みが浮かぶ。
でもその目は、どこか切なげに細められていた。
「しかも……相手は、自分の教え子だってさ」
煙と一緒に、その言葉も夜空へと放つ。
風がそれをさらっていく。
星明かりの下、硝子はただひとり、遠い夏の日の横顔を思い浮かべていた。