第8章 「この夜だけは、嘘をついて」
蝉の声が頭上でうるさいほど鳴いていた、学生時代の昼下がり。
中庭のベンチでアイスを食べながら、硝子は何気なく呟いた。
「五条は、恋愛なんて一生無理だろ」
隣の夏油はくくっと笑って、棒アイスを軽く回しながら答える。
「はは、だろうね。悟は恋愛観バグってるからな」
その口元が、少しだけ柔らかくなる。
「でも……悟に本当に好きな人ができたら、応援してあげようよ、硝子」
「多分、告白とかもしたことないから……教えてあげないと」
「えー、めんどくさ。夏油、一人でやりなよ」
「でも、あの悟が好きになる子、どんな子か硝子だって気になるだろ?」
「……まぁ、それはそうだけど」
夏油は空を見上げ、ゆっくりと目を細めた。
「多分、そんな日が来るのなんて一生に一度じゃないかな。だから……うまくいってほしいからね」
そう言って笑った夏油の横顔が、今も胸に残っている。
――そして、現在。
硝子は横を歩く五条をちらりと見やり、心の中で小さく呟いた。
(……夏油。あんたの言った通りだよ。こいつ、やっぱり何もわかってないわ)
大きくため息をつき、口を開く。
「五条、女はな……男と違って、まずは言葉なんだよ。あんたはそれを一番軽く扱うタイプだから、余計にちゃんとしな」
五条は、ポケットに手を突っ込んだまま、呟くように言った。
「でもさぁ、言葉っている?」
五条は肩をすくめて、真面目なのかふざけてるのかわからない声で続ける。
「“目は口ほどに物を言う”って言うじゃん。キスだって同じでしょ。気持ちがあれば、通じるし、わかるし――それでよくない?」
「……だから、それじゃダメだって言ってんの」
硝子の声には、少し苛立ちが混じっていた。
「“気持ちがあれば伝わる”って言葉、便利だけど――逃げなんだよ、それは」
五条は口をつぐむ。珍しく、言い返さなかった。
硝子は続ける。
「ちゃんと伝えなきゃ、いつか大事なもん、見失うよ」
五条はしばらく黙って歩き――ぽつりと呟いた。
「……僕、告白って、今までしたことないんだよね」
「だろうな」
硝子は即答した。