第8章 「この夜だけは、嘘をついて」
「あ、そうだ。の具合どうだった?」
「……ああ。怪我は軽いし、大丈夫だろ」
「そっか」
短いやり取りの後、二人の間に夜の静けさが戻る。
足音と、窓の外から入り込む夜風の音だけが続く。
やがて、五条が何かを思いついたように顔を上げる。
「ねぇ、硝子」
「……なんだ?」
「好きな子とキスってさ、どうやったらできるの?」
硝子は足を止め、じとっとした目を向けた。
「……はぁ? 何その小学生みたいな質問」
五条は首をすこし傾けて、わざとらしくため息をつく。
「いやさぁ、突如想いが溢れて、キスしようとしたんだけど――」
そこで少し間を置き、眉を下げた。
「『キスは好きな人同士でするものです』って、断られちゃって」
「当たり前だろ」
硝子は即答し、再び歩き出す。
五条は追いながら、少しだけ唇を尖らせる。
「えー? でも、すでに二回してるんだよ」
硝子は半眼でジロリと見上げる。
「お前、それ、相手の同意なく一方的にやったとかじゃないよな?」
五条は少し考えるふりをし――
「……あー……そうかも?」
「……」
盛大なため息が夜の廊下に落ちる。
「今までどんな恋愛してきたんだ」
「んー? いつも向こうから寄ってきて。で、やりたい時にやって終わり」
そう笑って言い切る五条に、硝子は心底ドン引きした顔を向けた。
「……聞かなきゃよかった」
「あ、でも、その子は今までとは違うっていうか……大事にしたいし、守ってやりたいんだよ。嫌がることはしたくないし」
少し真面目な声色になったかと思えば――
「……でも、可愛いからさ、つい手が出ちゃうっていうか」
(……やっぱりクズだな、こいつ)
硝子は心の中で毒づきながら、黙って前を向いた。
好きな人、ね……。
ふと、遠い夏の日の記憶がよみがえる。