第9章 英雄と狂ったブラッジャー
「もう、見てられないよ……」
チユは、唇をぎゅっとかみしめた、その時。
ハリーがちらっと振り返って何かを見た。
マルフォイ。……いや、そのすぐ上、金色に光るもの。スニッチだ。
「見つけた……!」チユは思わず息を呑んだ。
けれど、ハリーは飛び込まなかった。目の前のスニッチに向かって突っ込む代わりに、なぜか動かない。
――理由はすぐにわかった。マルフォイに気づかれたくなかったのだ。
その一瞬だった。
バシッ。
乾いた音が、雨の中でもはっきり聞こえた。
ハリーが――叩かれたように体を大きく傾け、右腕をだらんと垂らしていた。
「うそ……」
チユの胸がぎゅっと縮んだ。
ハーマイオニーが「きゃーー!」と叫ぶ。
雨が、冷たいはずなのに、なんだか体中がカーッと熱くなっていた。
ブラッジャーはなおもハリーに突進していく。
こんなの、誰がどう見ても「事故」じゃない。
(お願い、もうやめて……)
フレッドとジョージが空で何か叫んでいる。
でも、もう誰にも止められない。
ハリーは、片腕だけで箒にぶら下がりながら、痛みに顔をしかめ、それでも目だけはまっすぐ、マルフォイのほうをにらんでいた。
そして、空を切り裂くような速度で、マルフォイのほうへと急降下した。
マルフォイの目が見開かれる。恐怖で引きつる顔。
「い、いったい……!」
マルフォイが逃げるように箒を切るのと、ハリーがスニッチを掴むのは、まるで同時だった。
ぐしゃっ――泥が大きくはね上がり、次の瞬間、ハリーはピッチに叩きつけられた。
「ハリー!!」
チユは叫んでいた。叫んだつもりだった。
でも、自分の声が雨にかき消されているのか、それとも震えて出ていなかったのか、わからなかった。
ハリーは泥の中に転がっていた。腕はおかしな方向に折れ曲がり、顔には雨が落ちている。
それでも、折れていないほうの手には、金色のスニッチが、しっかりと握られていた。
「勝った……」
そうつぶやいたハリーの声を、チユは確かに聞いた。
そして、彼はそのまま意識を失った。