第7章 らっとまんはんと
ニョンの腕の中は、あたたかかった。
ぶ厚くて、やさしくて、揺れも少ない。
静かな廊下を進むたびに、彼の心拍が背中ごしに伝わってくる。
(……やば……ちかい……)
(なにこれ……あったか……やば……)
ニョンは口に出せないまま、顔だけは必死に平静を保とうとしていた。
でも、耳はすっかり赤くなっていて、呼吸もわずかに浅くなっている。
夢主はと言えば――
ただ静かに、胸元に収まっていた。
特に言葉もなく、表情も変わらず、それでもどこか落ち着いている。
体を預けたまま、じっと景色を見ているその姿は、
まるで小さな動物が飼い主の腕の中で探検を楽しんでいるようだった。
危険も忘れ、ただ純粋に、
「たのしい」とは言わないけれど、少しだけわくわくしているような――
そんな、安心した鼓動が伝わっていた。
ふたりの歩調は合っていて、空気は穏やかで、
この時間が続いてもいいかも、とさえ、ニョンは思いはじめていた。
――だが、その瞬間だった。
ズッ、という音とともに、廊下の向こうから何かが飛び出してきた。
血のにおいが、空気を裂く。
姿を現したのは、ニェンだった。
顔と腕に鮮血が飛び散り、片腕は袖が裂け、うっすらと赤い筋が流れている。
口元にはにやりとした笑み、鼻息が荒く、目がぎらぎらと光っている。
「……けっこう手こずったけど……つかまえたぜ」
右手には、ねじれた金属のようなものと、何かの尾のような黒い破片が握られていた。
ニョンは反射的に夢主を胸にぎゅっと抱え直す。
血のにおいと、ニェンの足音が近づいてくる。
そして、こちらに視線もくれず――
「うわ、最ッ高……これはマスターに、相当ほめられちまうなぁ……ククク…」
興奮冷めやらぬまま、ニェンはふたりの前を通り過ぎていった。
地を鳴らすような重たい足音だけが、廊下に残る。
空気が変わった。
ついさっきまでの、ぬるくてあたたかい時間は、
一瞬で切り裂かれたように消えていた。
ニョンは夢主を抱いたまま、そっと肩の力を抜きながら呟いた。
「……終わった、みたいですね」