第13章 ■短編 「ほっとみるく」
棺を抜け出すと、足の裏がひやりとした床に触れた。
薄いネグリジェの裾がふわりと揺れて、空気をすべらせる。
ランダルを起こさないように、そっと扉を閉じて、は廊下に出た。
廊下は、いつもと同じはずなのに、どこか違って見える。
壁紙には大きな花や蝶のような模様が広がり、誰の趣味ともつかない曖昧な色と形で塗りつぶされている。
飾られた肖像画の目、人形の目、どれも眠っていないような気がした。
誰もいないはずなのに、どこかから視線を感じる。
思い過ごしだとわかっていても、足音は自然と小さくなる。
それでも、怖くはなかった。
この家にいることに、はもう慣れていた。
危ない場所じゃない。危ない人もいない。
──そう、自分に言い聞かせながら、キッチンへと進む。
ドアを開けると、冷たい空気がすっと肌に触れた。
暗いままの部屋には照明はつけられていないが、窓から漏れる月明かりで、テーブルや流しの輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。
床のタイルが、裸足にひんやりとして心地いい。
キッチンテーブルの上には、使いかけのグラスがひとつ。
誰のものかはわからないけれど、口の縁が濡れていた。
戸棚から新しいグラスを取り出し、水道の蛇口をひねる。
水が流れる音が、静かな部屋に大きく響いた。
コップに口をつけて、コクコクと水を飲む。
喉の奥を通っていく冷たさに、さっきまでのざわざわが少しだけ静まった気がした。
グラスをテーブルに置き、は冷蔵庫に目をやる。
何か、ちょっとしたものを探そうと、扉にそっと手をかけた──