第1章 出会い
それから、何杯か飲んだ。
会話は少なく、交わされる言葉も単調なものばかりだった。
「もう一杯いる?」
「いや、いい。そろそろ切り上げようと思ってな」
そんな些細なやり取りを繰り返しながら、時間だけが静かに過ぎていく。
深夜3時。
紫苑はふと時計を見た。
「……そろそろ帰る?」
問いかけると、甚爾はグラスを揺らしながら「どうする?」と聞き返した。
紫苑は少し考え、手元の氷が溶けたウイスキーを見つめる。
そして、ふと口を開いた。
「私の家、来る?」
意識して言ったわけではなかった。
むしろ、何も考えずに言葉が出た。
甚爾は特に驚くこともなく、ただ「いいのか?」と静かに聞き返す。
紫苑はグラスを置き、カウンターの端に肘をついた。
「別に。あなたがよければ」
甚爾は何も言わなかった。ただ、微かに笑ったような気がした。
それだけで、紫苑は「きっと来るのだろう」と確信した。
静かに会計を済ませ、二人で店を出る。もちろん、紫苑が全額支払った。甚爾は楽しそうに「気前いいな」と笑っていた。
外の空気は、思ったより冷たかった。
酔いの残る体に、夜風がひんやりとまとわりつく。
「寒いわね」
紫苑が独り言のように呟くと、甚爾は隣でポケットに手を突っ込んだまま「ん?」と曖昧に返した。
「まぁ、別に」
「薄着じゃない」
「慣れてる」
それ以上、紫苑は何も言わなかった。
甚爾の歩くペースに合わせながら、無言で並んで歩く。
タクシーを拾うほどの距離ではない。
紫苑の住むマンションは、ここから徒歩10分ほどの場所だった。
酔いを冷ますにはちょうどいい距離。
(よく分からない人)
必要な時にだけ連絡を寄越して、あとは放置。
そのくせ、こうして誘えば何の躊躇いもなくついてくる。
紫苑は小さく息を吐いた。
「まあ、たまにはいいわよね」
自分に言い聞かせるように呟いた。
甚爾は何も答えなかった。
夜の街はまだ酔いに浮かれた人々の笑い声で賑わっている。
その音を遠くに聞きながら、紫苑と甚爾は静かに歩き続けた。
——今夜は、眠れそうにない。