第1章 出会い
「で、お前、どんな客には返信するんだ?」
甚爾が尋ねてきた。
紫苑は軽く首を傾げ、グラスの縁を指でなぞる。
「指名の可能性がある人?」
「俺は?」
「ないでしょ」
即答すると、甚爾は笑った。
「まぁな」
それを否定することもないあたり、彼も客になる気はないのだろう。
紫苑は心のどこかで「じゃあ、なんで連絡してきたの?」と問いかけたくなったが、それも馬鹿らしい気がした。
(理由なんて、どうでもいいじゃない)
今さら彼に何を期待するというのか。
甚爾がこちらを気まぐれに選んだように、紫苑も気まぐれにこの時間を過ごしているだけ。
それでいい。
それでいいはずなのに。
「そっちは、どんな女に連絡するの?」
ふと、問いが口をついて出た。
甚爾はグラスの縁を指でなぞりながら、ほんの少し考えたような素振りを見せたが、すぐに短く答えた。
「気分」
「適当ね」
「そういうもんだろ」
甚爾の言葉に、紫苑は肩をすくめる。
適当で、いい加減で、その場の思いつき。
彼の言葉にそれ以上の意味を求めても仕方がないのは、もうわかっていた。
「気分で連絡するにしては、ずいぶんと時間が空いたわね」
ウイスキーを口に含みながら、紫苑は何気なく言った。
甚爾は視線を落としたまま、グラスの中で氷を回す。
「……そうか?」
「ええ。だって、連絡くるまで、もう忘れられたんだと思ってたもの」
それは本心だった。
未読無視の画面を見ながら、「このまま消えるんだろうな」と思った。
でも、こうしてまた彼は目の前にいる。
その理由を、紫苑は聞かない。
どうせ、気分なのだろう。
「お前も、俺のこと忘れてたんじゃねぇの?」
「さあ、どうかしら」
紫苑は笑って、ウイスキーのグラスを持ち上げた。
酔いの回り始めた体がじんわりと熱を帯びる。
こうして並んでいるのが当たり前のように思えるのは、単なる錯覚なのかもしれない。
「でも、また気分が変わったら、何も言わずに消えるんでしょ?」
「さあな」
甚爾は煙草を取り出し、火をつけた。
店内の穏やかなジャズが、二人の沈黙を埋めていた。