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【呪術廻戦・甚爾夢】胡蝶の夢【完結】

第6章 甚爾という男


「……もし俺に何かあったら」

 自分で口にして、僅かに息を詰めた。

(……何言ってんだ、俺)

 紫苑が眉をひそめるのが視界の端に映る。

「は?」

 彼女の表情には驚きもない。ただ、訝しむような色だけがあった。

 当然だろう。

 自分でも何でこんなことを言ったのかわからなかった。

 本気で頼むつもりなんて、ない。

 紫苑にそんなものを押し付ける気もないし、そもそも、甚爾自身が何かあるなんて考えたこともない。

 この世界で、のらりくらりと生きてきた。

 死ぬ理由もないし、死ぬ運命だとも思っていない。

 なのに。

 なぜか 「もし俺に何かあったら」 という言葉が、喉をすり抜けていった。

「もし俺に何かあったら、恵を頼めるか?」

 紫苑が呆れたように息をつく。

「何それ、遺言?」

「かもな」

 適当に笑う。

 取り繕うように。

 誤魔化すように。

(今のは、ただの冗談だ)

 そう思い込もうとする。

「やめてよ、縁起でもない」

 紫苑はグラスを置いた。

 何気ない動作だったが、その仕草の奥には 彼女なりの線引き が見えた。

「それに、私には無理よ」

 ぽつりと呟く。

「私は、正しい母親を知らないもの」

 静かに、ただそれだけ。

 甚爾は、紫苑の横顔を見た。

(……そうか)

 その一言だけで、彼女の過去が透けて見えた。

 今まで考えたこともなかったが、紫苑はずっと「そういう生き方」をしてきたのだろう。

 「正しい母親」を知らず、どこかで 誰かに頼ることも、頼られることもできなかった女。

 そして、甚爾も。

「俺もだ」

 それは、口をついて出た。

 紫苑が、少しだけ目を伏せる。

「……あら、じゃあ、お似合いね」

「そうかもな」

 軽く笑い合う。

 まるでどうでもいい話をしているみたいに。

 だが、甚爾の中には 妙なざわつき が残っていた。

 紫苑が「正しい母親を知らない」と言った瞬間、なぜか 「なら、お前自身はどうする?」 と思ってしまった。

(紫苑なら……)
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