第6章 甚爾という男
「金、貸してくれ」
言った瞬間、紫苑がまた何も言わずにグラスを持ち上げるのがわかった。
(まあ、いつもの流れだろ)
氷が静かに揺れる音。
「いくら?」
「30」
「また増えたわね」
「ガキがいると、色々かかるんだよ」
自分でも適当すぎる言い訳だと思った。
だが、これまで紫苑は、いちいち問い詰めることはしなかった。
言えば金を出す。
そういう関係だった。
だから、今回も同じだと思っていた。
けれど。
「……本当に?」
紫苑の声は、硬かった。
甚爾はタバコを咥えたまま、彼女を見た。
「は?」
「本当に、そのお金、子供のために使ってるの?」
甚爾は、一瞬だけ目を細める。
(……なんで、そんなこと聞く?)
「……何が言いたい?」
紫苑は静かにグラスを置いた。
「あなたのことだから、どうせロクな使い方してないんでしょう?」
「さあな」
曖昧に笑う。
いつもの紫苑なら、これで終わりにする。
問い詰められたら、面倒くさそうに受け流せば彼女はそれ以上踏み込んでくることはない。
だが、紫苑の視線が、それを許していなかった。
「ねえ、」
「ん?」
「子供ほったらかしで、愛人の家に入り浸ってるって……」
紫苑はグラスを揺らしながら、ゆっくりと呟く。
「本当に人でなしね」
甚爾は、短く鼻で笑った。
「……言うじゃねえか」
「当然でしょ」
まるで皮肉でもなく、淡々とした口調。
紫苑は、心底どうでもいいことを確認するみたいに、静かに問いかけた。
「その子、いくつ?」
「……4」
「名前は?」
甚爾は、一瞬だけ言葉に詰まった。
考えたわけじゃない。
答えたくないわけでもない。
だが、どこか、喉の奥に引っかかる感覚があった。
「恵」
「恵、ね。男の子? 女の子?」
「男だ」
「恵君、か」
紫苑が、その名前を転がすように呟く。
甚爾は、その声を聞きながら、無意識にタバコの火を弾いて灰を灰皿へと落とした。