第6章 甚爾という男
金を引く流れは、もう完成している。
いまや金を求めるのは、甚爾からではない。
紫苑が「自分から」自然に渡すようになっていた。
10万、20万——紫苑が先に「これでいい?」と聞くようになった時点で、もう考える必要はない。
(まだ引ける)
だが、ここで焦るのは悪手だった。
女は「支えている」と思うからこそ金を出す。
もしそれが「搾取されている」と気づけば、逃げる。
だから、バランスを保つ。
——次のフェーズは、「紫苑が甚爾を頼る状況を作ること」。
「ちょっと、お金貸してくれない?」
紫苑がそう言った瞬間、甚爾は軽く目を細めた。
(やっとか)
今まで「与える側」だった紫苑が、ついに「受け取る側」に回った。
この瞬間が、甚爾の狙いだった。
「お前、俺にそんなこと頼むのか?」
「ダメ?」
紫苑の指先が微かにこわばる。
甚爾は、少しだけ間を置く。
(この一瞬が大事なんだよ)
ここですぐに金を渡せば、「気軽に頼んでいい」と思われる。
そうなると、主導権が紫苑に移る。
だから、すぐには答えない。
「いや……ちょっと意外だっただけだ」
一度、戸惑わせる。
紫苑に「頼ること」への意識を強くさせる。
そうすれば、彼女は「私は彼に頼るべきではないのか」と自分で考え始める。
そこで、甚爾はゆっくりと財布を取り出し、無造作に紫苑の手に金を押し付ける。
「ほらよ」
「……ありがとう」
紫苑は素直に礼を言う。
(これでいい)
甚爾は煙を吐き出しながら、静かに言葉を置いた。
「でもお前、もっと俺に頼ればいいのに」
紫苑の指が、一瞬だけ硬直する。
それを見逃さない。
「……何それ」
「そういうの、俺じゃなきゃ無理なんだろ?」
紫苑は何も言わない。
だが、それが答えだった。
(もう、引き返せねぇよな)
甚爾は紫苑の頬に軽く触れる。
紫苑は目を閉じる。
何も言わずに、その言葉を受け入れた。