第6章 甚爾という男
甚爾は鼻で笑う。
「俺が?」
「ええ」
「何で?」
紫苑は肩をすくめる。
「だって、こんなの、雰囲気に流されてるだけじゃない」
「そうか?」
「そうよ」
紫苑はグラスを回しながら言う。
「……普通、こういうときって、もっとそれっぽい言葉とか、あるんじゃない?」
「たとえば?」
「『お前のそういうとこが可愛い』とか、『俺のものになればいいのに』とか」
甚爾は少し考え、それから首を傾げた。
「そんなん、言わねぇよ」
紫苑は苦笑する。
「つまんないわね」
「でも、わかってきた。そういうところがあなたらしいのかもね」
甚爾は微かに笑った。
「……で、お前はどうすんの?」
「何が?」
「嫌なら、どかせば?」
また、同じ言葉。
紫苑の指がわずかに震える。
(ほらな)
もう答えは出ている。
紫苑が何も言わないのは、答えを決めかねているからではない。
答えなんか、とっくに出ている。
「……そんなこと、わざわざ言う?」
「何が?」
「そんなの、自分で考えればわかるでしょ」
甚爾は少し笑う。
「何か問題あるか?」
「別に」
甚爾は髪を遊ばせながら、紫苑の顔を見つめる。
「……そんなに見る?」
「見るだろ」
「なんで?」
「お前が、どこで諦めるか見てる」
紫苑の指が止まる。
「……諦める?」
「そう」
甚爾は、絡めた髪を解きながら言う。
「お前、今めちゃくちゃ考えてんだろ。どうするか」
紫苑の瞳が揺れる。
だが、甚爾はただ待っていた。
(……もう、お前は決まってるんだよ)
紫苑は、ゆっくりと視線をそらす。
「……知らない」
「そうか」
その瞬間、甚爾は指を頬に滑らせた。
ひどく軽い触れ方だった。
紫苑は、止めなかった。
(——もう、終わったな)
甚爾は、確信した。
手のひらで紫苑を転がすのは、もはや簡単だった。
「……お前、もう決まってるだろ」
囁くように言いながら、煙草の火を灰皿に押し付ける。
紫苑の後ろ髪を掴み、ゆっくりと引き寄せる。
紫苑は何も言わず、ただ静かに目を閉じた。