第6章 甚爾という男
これが、最も効果的な言葉だった。
「やめろ」と言えば、甚爾は止める。
でも、それを選んだ時点で、紫苑の中に「選択肢があった」という事実が残る。
だからこそ、甚爾は「お前の自由だ」と提示する。
紫苑は何も言わない。
(もう動けないだろ)
甚爾は微かに笑い、指先で髪を解く。
「……意外と、柔らかいんだな」
どうでもいいことを言いながら、もう一度髪をつまむ。
紫苑はグラスを置き、肘をついた。
「そんなの、触ればわかるでしょ」
「いや、思ってたより」
「何を想像してたのよ」
問い返されても、甚爾は答えなかった。
代わりに、また髪を弄ぶ。
紫苑はため息をつきながら、彼の手を軽く払った。
——ただの仕草だ。
本気で拒絶するつもりはない。
「……酔ってる?」
「別に」
甚爾はそう言いながら、紫苑の視線を観察する。
もう、ほとんど抵抗はない。
紫苑は机に置かれた甚爾のタバコを手に取る。
「吸う?」
「ん」
甚爾が片手を差し出すと、紫苑は一本取り出し、そのまま彼の唇に押し当てた。
(ほらな)
直接タバコを口に押し付ける仕草は、親密さを無意識に強める。
紫苑は、もうここから逃げる気はない。
甚爾は何も言わず、火をつける。
煙を吐きながら、紫苑を見た。
「お前、ホステスのくせに、あんまり甘えたりしねぇのな」
「そういうキャラじゃないもの」
「なるほど」
紫苑は「私は違う」と言う。
だが、甚爾にはわかっていた。
「甘えたくない」のではなく、「甘えられる場所を持っていない」だけ。
そういう女は、男の与える「ちょうどいい距離感」に弱い。
甚爾は紫苑をじっと見たまま、少し身を乗り出す。
紫苑の目がわずかに細まる。
「なに」
「いや」
「何よ」
「……別に、顔、見てただけだろ」
沈黙。
紫苑の肌に、じんわりと熱が宿るのがわかる。
(もう、決まりだ)
「……もう少し、ちゃんと口説けば?」
紫苑が、ため息混じりに言う。