第6章 甚爾という男
(そろそろだな)
適度に酒が入り、適度に気も緩んでいる。
会話も少なくなり、沈黙が増えてきた。
時間は深夜3時。
本当なら帰る頃合いだ。
紫苑が時計を見て、「……そろそろ帰る?」と問いかける。
甚爾はグラスを傾けながら、わざと「どうする?」と聞き返した。
(決めるのは、お前だ)
紫苑は少し考え、グラスに視線を落とす。
溶けかけた氷が、透明なウイスキーの中で静かに浮いている。
そして、ふと口を開いた。
「私の家、来る?」
(ほらな)
甚爾は特に驚いた様子も見せず、静かに「いいのか?」と返す。
紫苑はグラスを置き、カウンターの端に肘をついた。
「別に。あなたがよければ」
甚爾は何も言わなかった。ただ、微かに笑う。
紫苑の中で「これは私の選択」と思わせるには、十分な間だった。
——だが、実際は違う。
紫苑が「つい口にしてしまった」と思っている誘いは、最初から甚爾が仕向けたものだった。
紫苑の口から「私の家に来る?」と言わせた時点で、甚爾の勝ちだった。
(こいつは「誘ったのは私だ」と思ってるだろうな)
それでいい。
紫苑は「自分の意思で動いた」と思うほうが、後々ずっと繋ぎ止めやすくなる。