第1章 出会い
次があるのか、それとも今日だけなのか。彼は何も言わない。ただ、一方的にLINEを交換しただけ。
(たぶん、もう来ないわね)
そう思いながらも、紫苑はどこかで「でも」という可能性を考えてしまう。
「今日もお疲れ様でした」
営業が終わり、紫苑は控え室でハイヒールを脱いだ。
クラブの賑やかな空気から解放される瞬間。肩の力を抜き、スマホを取り出す。
——未読。
(……まあ、そうよね)
紫苑はため息をつきながら、伏黒甚爾とのトーク画面を見下ろした。
営業LINEは数回送った。
『昨日はありがとうございました!またお待ちしてますね』
『お仕事お疲れ様です。お時間できたら飲みにいらしてくださいね』
『今日も寒いですね。お身体気をつけてください』
全部、未読。
(もう切っていいわね)
紫苑は客としての見込みがない男には深入りしない。
冷やかしなら切り捨てる。割り切るのが一番だ。
指を滑らせ、彼とのトークを非表示にしようとした——その時。
着信:禪院甚爾
「……は?」
思わずスマホを見つめる。
未読無視を続けた男が、今さら何の用?
時間は深夜2時を回っている。紫苑にとっては帰宅後に軽く飲んで寝るだけの時間。普段ならこの手の遅い時間の電話には出ないが、甚爾が相手となると、興味が勝った。
通話ボタンをスライドする。
「もしもし」
『ああ、起きてた?』
甚爾の低く乾いた声が耳に届く。
「まあね。どうしたの?」
『……飯、奢ってくれよ』
紫苑は思わず眉をひそめる。
「は?」
『なんか食いたい気分なんだよ』
当然のような口ぶり。しばらく未読無視していたくせに、何の前触れもなく「飯を奢れ」?
普通なら断るべきだ。だが、紫苑はすぐに切ることができなかった。
(このタイミングで、そうくる?)
無視され続けた側なら、怒るのが普通だ。だが、甚爾は怒る隙を与えない。むしろ「何をそんなに考えてる?」と言わんばかりの軽い口調で、選択肢を突きつけてくる。
「……何が食べたいの?」
気づけば、紫苑はそう返していた。
甚爾が低く笑う。
『気前いいな』