第3章 手遅れ
それからの紫苑は、普通に暮らしていた。
相変わらず、ホステスとして夜の世界に生きている。
新しい客。新しい男。
「紫苑、今度旅行でも行かない?」
「うーん、考えとく」
誰かが手を伸ばせば、その手を取ることもある。
酒を飲み、笑い、時々誰かの腕の中で夜を過ごす。
(私は大人の女だから)
そう思いながら、気づかないふりをしていた。
そのどれもが、心に何も残らないことを。
2年が経った頃には、紫苑ももう、甚爾のことを考えなくなっていた。
はずだった。
「よぉ」
深夜、紫苑の部屋の前に立っていた男の声を聞いた瞬間、時間が巻き戻るような錯覚を覚えた。
「……何?」
思わず、問いかける。
「寝てたか?」
「……いいえ」
甚爾は変わっていなかった。
いや、変わっていないように見えただけかもしれない。
「……何しに来たの?」
紫苑は平静を装って尋ねる。
甚爾は、ポケットに手を突っ込んだまま、ふっと笑った。
「泊まっていいか?」
紫苑は息をのむ。
(……何それ)
この男は、何年も何の連絡もよこさなかったくせに、今さら何を言っているのか。
「奥さんは?」
「……いない」
紫苑は、一瞬だけ言葉を失った。
そして、僅かに息を吐く。
「……そう」
それだけしか言えなかった。
そして、また扉を開けてしまった。