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【呪術廻戦・甚爾夢】胡蝶の夢【完結】

第3章 手遅れ


「結婚する」

 そう聞いたとき、紫苑は驚くほど冷静だった。

「へえ、おめでとう」

 自分でも完璧だと思えるくらい、軽い調子で言えた。

 店の奥の個室。深夜2時。

 いつも通りの流れで甚爾と会い、酒を飲んでいた。

「なんで今さら?」

「さあな」

 甚爾はグラスを傾ける。

 琥珀色の液体が揺れ、静かに氷にぶつかった。

「面倒くせぇからかもな」

「面倒くさいなら、しなきゃいいのに」

「かもな」

 紫苑は微笑む。

(どうせ私には関係ないこと)

 そう思おうとする。

 でも、思っているよりずっと胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。

 指先がかすかに震える。

「いい奥さんなの?」

「……悪くねぇよ」

紫苑は、ふっと笑う。

「なら、いいじゃない」

それだけ言って、グラスを空けた。

 甚爾はそれ以上、何も言わない。

 その目は紫苑を見ていない。

 紫苑は頷いた。

「奥さんも、苦労しそうね」

「かもな」

 まるで他人事のような口ぶり。

 紫苑はグラスを握りしめた。

 微かに爪が食い込む。

(……じゃあ、私は?)

 今まで何だったの?

 聞こうと思えば聞けたのに、紫苑は何も言わなかった。

(関係ないもの、私には)

 そう、自分に言い聞かせる。

 だが、心の奥底では叫びたかった。

(関係ないわけないのに)

 紫苑はグラスの底に残った酒を一気に飲み干し、乱暴に置いた。

「そろそろ、帰るわね」

 紫苑は微笑んで、その場を去った。

 扉を閉めると、ふっと息を吐く。

 外の空気がやけに冷たく感じた。

 夜風が頬を撫でる。

 紫苑はしばらく足を止め、夜空を仰ぐ。

(私、バカみたい)

 その夜を境に、甚爾からの連絡は途絶えた。

 紫苑も、連絡をしなかった。

 する理由がない。

(結婚したんだから、当然よね)

 そう自分に言い聞かせる。

 それでも、最初の数ヶ月は、ふとした瞬間にスマホの画面を見てしまうことがあった。

「起きてる?」

 深夜の着信。
 唐突な呼び出し。
 気まぐれな連絡。

それが、もう二度と来ないことを、紫苑は理解し始めていた。
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