第8章 少しずつ、家族に
カチリ。
小さな音とともに、ビアンカの動きが止まる。
彼女の指先は、まだ本の背に触れたまま。
肩越しに、ゆっくりとバージルを振り返る。
──彼は抜刀していなかった。
当たり前のことなのに、なぜかそれが新鮮に思えて、ビアンカは無意識のうちに息を詰めていた。
「……お前、まだそれを気にしているのか」
呆れたような声音。
バージルは視線だけで彼女の手元を示しながら、ため息混じりに言った。
「もう、その必要はない」
ビアンカは一瞬、何のことか分からずに目を瞬かせる。
「……あ」
──そうか、そういうことか。
思わず、じわりと笑みが浮かんだ。
バージルの刃は、もう自分に向けられない。
今この家の中で、彼が抜刀することはない。
かつては、ほんの物音一つで刀を抜いていたのに。
「そっか……慣れてくれたんだね」
感慨深げに呟くと、バージルは「くだらん」とでも言いたげにそっぽを向く。
それが妙に可笑しくて、ビアンカはクスクスと笑った。
「じゃあ、普通に本を取っていいんだ?」
「当たり前だろう」
「よかったぁ! ほんと、アンタ怖かったんだからね? 最初の頃」
「……昔の話だ」
不機嫌そうな表情。
しかし、それは“昔の話”であることを否定しなかった。
ビアンカは満足そうに本を取り、パタンと閉じる。
この家には、もう抜かれることのない刀と、かつてよりもずっと穏やかな時間が流れていた。