第8章 少しずつ、家族に
フォルトゥナの朝は、いつも穏やかだった。
波の音が遠くから響き、小さな家の窓辺に差し込む朝日が、ゆっくりと室内を照らしていく。
木製のベビーベッドの中で、小さな赤子が寝息を立てていた。
ネロ──バージルとビアンカの息子。
彼は、時折寝返りを打ちながら、微かに指を動かしている。
その小さな仕草が微笑ましくて、ビアンカは頬杖をつきながらベッドのそばでじっと眺めていた。
「……全く、誰に似たんだか」
彼女はくすりと笑う。
すやすやと眠る赤子は、まるでこの世の何もかもを知らないように無垢だった。
だが、その銀色の髪と凛々しい眉は、どう見てもバージル譲りだ。
そして、彼女にとってはかけがえのない存在だった。
ふと、背後で静かな気配がする。
「また眺めているのか」
冷静な声が落ちる。
振り向けば、バージルが窓辺に立っていた。
朝の光を背にしている彼は、どこか儚げにも見える。
それでも、その姿がここにあるという事実に、ビアンカは安堵する。
「……別にいいだろ?」
「過保護だな」
「はん、アンタに言われたくないね」
彼女は小さく笑いながら、ネロの頬にそっと触れた。
「でも、こうしてると……夢みたいだね」
「何がだ」
「アタシがまだ生きてて、アンタが戻ってきて、この子と3人で暮らしてること」
バージルは沈黙する。
かつての彼なら、この生活は想像もしなかっただろう。
力を求め、ただ孤独に歩んできた人生。
だが、彼は戻った。
ビアンカと、ネロがいるこの家に。
「……不思議なものだな」
「何が?」
「俺が、こうして生きていることも」
バージルは小さくため息をつきながら、ネロの小さな手を見つめる。
「この子が、ここにいることも」
「そうだね」
ビアンカは微笑み、バージルの腕にそっと寄りかかる。
「でも、いいんじゃない?」
「……」
「これは、アタシたちが選んだ未来だよ」
バージルは何も言わなかったが、そっと目を閉じた。
ネロが小さく寝返りを打ち、微かに息を漏らす。
その小さな命の温もりが、今ここに確かにある。
それだけで、すべてが報われる気がした。
そして、この穏やかな日々は、今日も続いていく。