第5章 ふとした日常
夜の静寂の中、バージルはベビーベッドのそばに立っていた。
淡い月光が、すやすやと眠る赤子の顔を照らしている。
──ネロ。
己の血を引く存在。
たったそれだけのことが、なぜか現実味を持たなかった。
(くだらん)
無意識のうちに、そう思う。
家族。親子。父と子。
バージルにとって、それは遠い過去の記憶の中でしか存在しない概念だった。
それなのに──
この小さな存在を前にすると、不思議と長く視線を向けてしまう。
寝息を立てるネロの小さな拳が、ぴくりと動いた。
無垢なその仕草に、ふと胸の奥が微かにざわつく。
バージルは、わずかに顔をしかめた。
(何を考えている)
くだらぬ感傷に浸るなど、無意味だ。
そう結論づけ、踵を返そうとする。
だが──
「ん……」
微かな寝言のような声が、耳を打った。
ベビーベッドの中で、ネロが小さく身じろぎする。
無意識にバージルのほうへと手を伸ばすように。
まだ意識もないはずの赤子が、何かを求めるかのように。
バージルは、反射的に足を止めた。
そして、ため息をひとつ。
(……くだらん)
しかし、
──健やかに育て。
心の中に浮かんだ願いを、振り払うことはしなかった。