第13章 娘
朝日が静かに地平線を照らし始めたころ、キリエが扉を開けた。
彼女の顔には疲れと安堵の色が混じっている。
「お義父さん」
その一言に、空気が変わった。
バージルは何も言わずに歩き出す。
背後でネロが息を呑む気配を感じたが、振り返ることはしなかった。
家の中は静かだった。
いや、正確には「静かになったばかり」と言うべきだろう。
長い時間の果てにようやく落ち着いたのだと、微かな温もりが残る空気が教えてくれる。
寝台の上、ビアンカはぐったりと横になっていた。
髪は汗でしっとりと濡れ、いつもの威勢はどこにもない。
それでも彼女はバージルを見つけると、疲れ果てた笑みを浮かべた。
「おかえり、パパ」
彼は何も言わなかった。
産婆が歩み寄る。
バージルに向かって、何かを──小さな、小さな命をそっと差し出した。
「ほら、可愛い娘さんですよ」
バージルは一瞬、産婆の言葉の意味を理解できなかった。
だが、腕に乗せられた瞬間、目の前の光景が強制的に意識を引き戻した。
──小さい。
あまりにも、小さい。
しっかりと包まれたおくるみの隙間から、赤ん坊の顔がのぞいている。
──ネロのときと、同じだ。
かつて、彼がフォルトゥナの夜に戻ったときビアンカが腕の中に抱いていた、あの小さな存在。
バージルは微動だにできなかった。
腕にかかる重みが、あまりにも軽い。
だが、それを支える自分の手が、信じられないほど重く感じる。
「……」
言葉が出てこない。
ぎこちなく、恐る恐る赤ん坊を抱きかかえたまま、バージルは完全に硬直していた。
産婆が「もう少し、腕を……」と優しく教えてくれたが、バージルはまるで聞こえていないかのようだった。
──この小さな存在が、自分の子なのか。
信じられない。
いや、信じるしかない。
確かに、この腕の中にいる。
ビアンカは、そんな彼をぼんやりと眺めながら微笑んだ。
「……やっぱり、そうなると思った」
かすれた声だったが、どこか満足げだった。
あの時もそうだった、と言いたげに。