第10章 蛇足1
バージルは、決して振り返らなかった。
フォルトゥナの街を抜け、暗がりの中をただ無言で歩く。
東の空が白み始める頃には、すでに街の輪郭は遠ざかっていた。
肩に翻る青いコートが、冷たい風に揺れる。
静寂が彼の周囲を包んでいた。
それはいつものことだった。
バージルは、生涯において誰かと共に歩むことを選んだことはない。
力を求め、それだけを信じ、ただ前へ進み続けてきた。
それなのに──昨夜、己はあまりに愚かだった。
「……くだらん」
低く、押し殺した声が漏れる。
その声は、誰に向けられたものなのか。
ビアンカか。
いや──自分自身だ。
なぜ、あのようなことをした?
──答えは明白だった。
昨夜、バージルは戦いの余韻から抜け出せなかった。
戦闘後の昂ぶりが収まらず、本能が理性を上回った。
人間としての衝動に、抗えなかった。
それを知る唯一の女が、フォルトゥナにいる。
──だから、去った。
自分が人間であることを否定してきたはずなのに、彼女の前ではそれが崩れた。
己の弱さを、己が最も許せない。
バージルは目を閉じる。
昨夜のことを振り返るつもりはなかったが、どうしても思い出してしまう。
闇の中で向かい合った視線。
刹那的な衝動。
本能に従ったという、それだけの事実。
ビアンカを愛したわけではない。
そして、彼女も自分を愛していたわけではない。
なのに、あの時間だけは確かに何かが揺らいだと、脳が理解している。
──それが、たまらなく気に食わなかった。
もう二度と、あの女に会うことはない。
バージルはそれを決定事項として、フォルトゥナを完全に振り切った。
人間の弱さに囚われるのは、これが最初で最後でいい。
昨夜の出来事は、ただの一夜の過ち。
それ以上でも、それ以下でもない。
だから、もう二度と──