第11章 蛇足2
酒瓶が傾き、琥珀色の液体がグラスに注がれる。
カラン──
氷が小さく跳ねる音。
ビアンカはグラスを持ち上げ、一息にそれを飲み干した。夜の古書店は、静まり返っている。彼女の傍らには、空になったボトルがいくつも転がっていた。いつもなら心地よい酩酊感が訪れるのに、今夜はどこか違った。何を飲んでも、胸の奥がざわつくような感覚が抜けない。
「……ちっ、なんか気分が悪いね」
苦笑しながらもう一本、新しいボトルに手を伸ばそうとしたその時──
「やめておきなさい」
低く、ざらついた声が店内に響く。魔女の一族を束ねる長老──老婆が、カウンターの向こうに座っていた。いつの間に入ってきたのか。その存在感はまるで闇のように静かで、しかし確実にそこにあった。ビアンカは目を細める。
「……随分と偉そうな忠告じゃないか」
「お前はもう、酒など飲める体ではない」
「は?」
ビアンカは苦笑し、グラスを指先で回す。
「アタシの肝臓は頑丈だよ。まだまだ酔い足りないくらいさ」
だが、老婆は首を横に振る。
「違う」
ビアンカの腹部をじっと見つめながら、静かに告げた。
「子がいるよ」
ビアンカの動きが止まる。
まるで悪い冗談のような言葉だった。
「……何、言ってんだよ」
「お前は、気づいていないだけだ」
老婆の声は確信に満ちていた。
「だが、いずれ嫌でも分かる」
ビアンカは思わず笑い飛ばそうとした。
だが、笑えなかった。
あまりにも、自分の中の違和感と符合しすぎていたから。
数日前から、胃の調子が悪かった。
時折、やけに眠くなることがあった。
それでも深酒をやめる気はなかったし、気のせいだと片付けていた。
……まさか、本当に?
「……」
思わず腹に手を当てる。
だが、当然ながら何の兆しもない。
気のせいであってほしい。
……いや、どちらとも言えない。
それがまだ実感できないまま、ビアンカは老婆を見た。
「……で、それがどうしたって?」
いつものように軽く受け流そうとする。
しかし、老婆の次の言葉が、ビアンカの心を打ち砕いた。
「あの男は、地獄に散った。」
バージルは、この世にいない。
──その意味を理解するのに、数秒かかった。