第10章 蛇足1
「くだらん推測だな」
「そうかい?」
ビアンカは笑いながら、グラスの淵を指先でなでた。
そのしぐさが妙に色気を纏い、気づかぬうちに生唾を飲み込んでいたことに気付く。
「戦いの後ってのは、頭と身体がズレるものさ」
「……」
「今のアンタは、どっちが優位になってる?」
バージルは目を細める。
「どういう意味だ」
「アンタみたいな奴は、普段なら戦いの後も冷静でいられる。でも、今夜のアンタは違う」
ビアンカはゆっくりと立ち上がる。
「……身体が、まだ戦いの最中にいるんじゃないか?」
バージルは無言のまま彼女を見据えた。
──自分の状態を、言い当てられたことに、僅かに苛立ちを覚える。
彼女の言う通り、まだ昂ぶりが完全に抜けていない。
いつもなら、これほど長く戦闘の余韻を引きずることはない。
だが、今夜は──異様なほどに、戦いの感覚が身体に張り付いている。
「……余計な世話だ」
バージルは低く吐き捨てた。
だが、ビアンカはそれを聞き流し、すぐ目の前まで歩み寄る。
「アンタ、本当は気づいてるんだろ?」
彼女は至近距離で、バージルを見つめる。
「このまま何事もなく終わるほど、今のアンタは冷静じゃない」
「……」
バージルは言葉を失った。
ほんの一瞬、思考が止まる。
その隙を、ビアンカは見逃さなかった。
「アタシなら、受け止めてあげるよ。別料金でよければね」
彼女の声が、妙に遠く感じられる。
──そして、次の瞬間には、すべての迷いが霧散した。
戦場に置いてきたはずの“何か”が、一気に噴き出す。
──それは、ただの衝動。
ただの刹那。
ただの、夜の錯覚だった。
それでも、この一瞬だけは、バージルの冷徹な理性は優位ではなかった。
そして、夜は静かに更けていった。