第10章 蛇足1
血の臭いが抜けない。バージルは、指先を見つめる。乾きかけた返り血が、肌にこびりついている。些細なことだ。こんなもの、いくらでも経験してきた。
だが、今夜の戦いは──どこか、違った。
あの瞬間、確かに、理性の境界が薄れたのを感じた。
殺し尽くし、斬り伏せ、終わった後も、なお昂ぶりが収まらない。
静寂が、耳を突くほどの圧を持って響く。
人間という生き物は、極限の戦闘状態に晒され続けると、本能が覚醒する。
それは獣が生存のために持つ原始的な機能だ。
──だが、自分は人間ではない。
それでも、今この刹那の中にいる自分は、あまりに肉体的すぎる。
この異様な状態を、どう処理すればいいのか。
無意味な思考だ。考えるだけ時間の無駄だ。
バージルは、ゆっくりと視線を巡らせる。
暗がりのカウンターの向こうで、ビアンカがグラスを傾けていた。
それは直感だった。
情報屋である彼女は、いつも飄々としているが、それ以上に──妙な雰囲気を持っている。
「……アンタ、今夜は妙に静かだね」
ビアンカがカウンターに肘をつき、彼を見上げる。
「戦闘の後は、気が抜けるだろ?」
バージルは返答しなかった。
「いや、今回は違うか? まだ武器を握ってるつもり?」
ビアンカは、彼の手元をちらりと見る。
──閻魔刀の柄に、まだ指がかかっていた。
「……」
バージルは、ゆっくりと手を離す。
確かに、まだ抜刀の感覚が指に残っている。
“斬る”という行為の余韻が、身体に染みついて離れない。
落ち着かない。
昂ぶりが、収束しない。
あの戦闘の緊張が、まだ全身に張り付いている。
「アンタ、今夜は眠れないだろうね」
ビアンカの言葉に、バージルは冷ややかに目を向けた。