第9章 旅の始まり
朝日が差し込む孤児院の庭先で、ネロは小さく伸びをする。
あれから数日が経った。
バージルは、あっさりとフォルトゥナを去った。
何かを振り返るでもなく、何かを残すでもなく──彼らしい去り方だった。
そして今日、ふらりと訪れたのは、ダンテだった。
「へぇ、兄貴はもう行っちまったのか」
ダンテはコートを肩に引っ掛けながら、椅子に腰掛ける。
ネロは隣の椅子に腰を下ろし、少し肩をすくめた。
「もうちょい長くいるかと思ったんだけどな」
「まあ、アイツがゆっくり腰を落ち着けるなんてことがあるわけねぇ」
ダンテは苦笑しながら、足を組む。
「で? 何があったんだよ、今回は」
ネロは小さく息を吐く。
「……ちょっとな。昔の話を聞いた」
「あん?」
「俺の母親のことだよ」
ダンテの表情が、わずかに変わる。
「ほぉ……で、どうだった?」
ネロは少し考え込むように天を仰ぎ、ゆっくりと呟いた。
「……よくわかんねぇ」
ダンテは一瞬驚いたように眉を上げたが、やがて小さく笑った。
「そうか」
「なんだよ、それだけかよ」
「まぁな。でも、聞けてよかったんだろ?」
ネロは目を閉じる。
母は、自分を愛していた。
彼女は、魔女だった。
彼女は、自分を守るために命を賭けた。
そして──最後に、自分を抱きしめてくれた。
「……ああ」
静かに、ネロは頷いた。
それでいい。それだけでいい。
それが、母と息子の最初で最後の再会だったのだから。
ふと、ダンテが懐から何かを取り出し、ネロに放る。
「おっと」
ネロがそれをキャッチすると、それは小さな金貨だった。
「なんだこれ?」
「兄貴から預かってきた」
ネロは、目を丸くする。
「バージルが?」
「『宿代の足しにしろ』ってさ」
ダンテはどこか面白そうに笑った。
ネロは呆れながらも、思わず吹き出す。
「ったく……」
そういう不器用なところが、あいつらしい。
ネロは金貨を握りしめ、空を見上げた。
遠く、どこまでも続く青い空の向こうに、バージルの背中を思い浮かべながら。