第8章 そして彼女に追いつく
ネロは、しばらく父の背中を見つめていた。
何も言わず、動かず、ただそこに佇むその姿は、まるで彫像のようだった。
バージルの感情を読み取ることは難しい。
だが、ネロにはわかった。
これは「放っておいてくれ」という無言の圧だ。
だから、彼は何も言わず、足を引いた。
くるりと背を向け、ゆっくりと歩き出す。
振り返らない。
父の心の内に、踏み込むつもりはなかった。
──そして、ネロは夜のフォルトゥナの街をひとり歩いた。
すでに幻影は完全に消え、街並みは元の姿を取り戻している。
だが、ネロの中には、確かに何かが残っていた。
それが何なのかは、まだ言葉にできない。
孤児院の灯りが見えてくる。
扉を開けると、温かい光が彼を迎えた。
そして──
「……ネロ」
そこには、キリエがいた。
彼の帰りを待っていたのだろう。
彼女は一歩、近づいてくる。
その優しい眼差しに、ネロの肩の力がふっと抜けた。
気づけば、彼はキリエをそっと抱きしめていた。
彼女は驚いたように息をのんだが、すぐに何も聞かず、ただ彼の背中にそっと腕を回す。
「……少しだけ、知れたよ」
ネロは、消え入るような声で呟いた。
「母さんのこと……」
キリエの温もりの中で、ネロは静かに目を閉じる。
彼の母が、自分をどんな想いで守ったのか。
それを知ることができただけでも、意味があった。
──だから、もう少しだけ、このぬくもりの中にいたかった。