第8章 そして彼女に追いつく
そして戦闘が終わり……
リゴレットを倒したことで区画の幻影は少しずつ光の粒子となってとけていく。ビアンカは別れのために、立ち上がる。
「と、これでここの異常現象は溶けるよ。お疲れ様」
「ビアンカ!」
「魔女は死後、魂を捧げることになってるんだけどね、今回は例外。ちょっとだけ、欠片を見逃してもらったんだ」
ビアンカは少し寂しそうにネロを見る。
「……ハグしても?」
ネロは戸惑った様子ながらに彼女の抱擁を受け入れる。
それは、彼女にとって最初で最後の、母としての抱擁だった。ネロはその腕を振り払うことはしなかった。ビアンカの体は、まるで霧のように淡く、温もりのあるはずの接触が、どこか現実味を欠いていた。
「アンタを産んだことで、アタシは初めて“自分が生きていた意味”を知ったよ」
ネロの肩に顔をうずめながら、ビアンカは静かに言葉を紡ぐ。
「ずっと呪ってた……魔女である運命を。自分が生まれてきた意味すら見出せなかった。でもね……最後の最後に、そうあってよかったって思えた」
ネロは黙ったままだった。何を言えばいいのか、分からなかった。
今ここにいる彼女は、すでに『過去の残滓』でしかなく、本当の意味での母ではないのかもしれない。
それでも、ネロの胸の奥に、どこか言葉にできない感情が生まれていた。
──彼女は、本当に自分を愛してくれていたのだろうか。
「……リゴレットが、あんたを魔剣教団騎士詰所まで運んでくれたんだ」
ビアンカはゆっくりとネロの肩を離し、その顔を覗き込んだ。
「そうしなければ、アンタは確実に死んでた。アンタの血の匂いを消すために、アタシの血で上書きするようにして」
ネロの息が、詰まった。あの血溜まりは、つまり、黒っぽい色だったおくるみって……。自分を生かすために、彼女が流したものだったのか。
「……どうして、そこまでして」
思わず、口をついた。ビアンカは微笑む。
「母親って、そういうものなんだよ」
光の粒子が、彼女の輪郭を崩し始めていた。
「──さて、そろそろお別れの時間みたいだ」
ビアンカは軽く両腕を広げて、バージルを振り返る。
「アンタもさ、たまには息子に優しくしてあげなよ」
バージルは、無言で彼女を見つめた。