第8章 そして彼女に追いつく
カチン、と。グラスの底がカウンターの木目を打つ音が、静かな店内に響く。
ビアンカは肩をすくめて微笑んだ。
「冗談だよ。でも、アンタも意外とカッとなるんだね?」
バージルは答えなかった。
ただ、閻魔刀を構えたまま、彼女を睨みつけていた。
ここにいるビアンカは『過去の幻影』ではなく、『未来に託した残滓』。
すでに死んだはずの彼女が、こうして自分を認識し、対話している。
その意味するところは、ひとつしかない。
「……貴様がこの異常現象の元凶か?」
問いかけると、彼女は静かにウィスキーを口に含み、それを喉に流し込む。まるで、この世のすべてを達観したかのような余裕のある仕草。
ビアンカは一瞬、目を伏せる。ほんの少しだけ、表情が柔らかくなったように見えた。
「アンタの息子がね。ずっと知りたがってたのさ、自分の母親がどんな人間だったのかをね」
バージルの眉が、わずかに動いた。
「そんなことのために、この異常現象を引き起こしたとでも?」
「そういう言い方はひどいな。……まあ、アタシもね、もうちょっとだけ、自分のことを伝えたかったのさ」
「伝える、だと?」
彼女は苦笑しながら、指先でグラスの縁をなぞった。
「……アタシが生きていれば、どんな風に育てていたんだろうね。どんな言葉をかけて、どんな顔をして、どんな風に叱ったり、甘やかしたりしてたのか……」
「……」
「でも、そんなことはもう叶わない。あの時、アタシは死んだ。だからせめて──」
彼女は静かにバージルを見つめた。
「ネロに、何かを残せたらって思ったのさ。アンタみたいに、ただ黙って背中を向けて去るよりはね」
バージルの指が、閻魔刀の柄を強く握る。
「……貴様、オレを皮肉っているのか?」
「さあ? どう思うかは、アンタ次第さ」
ビアンカはゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ幕引きの時間みたいだ」
──そして、古書店スパーダの奥から、『それ』が姿を現した。
「アタシはビアンカ、古の魔女……最後の末裔」