マイナス、のちゼロ距離センチ【WIND BREAKER】
第1章 光差す向こう側で
「す、すごい……」
桜さんが振り返って男の人を殴り飛ばすまで、あっという間の出来事だった。
彼の身のこなしは、荒々しくも洗練された動きで、私の助けなんていらなかったんじゃないかと思わせるほどだ。
「オレはにれ君と一緒に待ってて、と伝えたはずなんだけどな」
「!?」
桜さんに目を奪われていると、すぐ横から困った様な声色でそんな言葉が聞こえてきた。慌ててそちらに顔を向ければ、いつの間にか近くに来ていたみたいで、隣に蘇枋さんが立っていた。その表情は、声と同様困った笑みを浮かべている。
「あっ、その……!」
やってしまった、と思った。
蘇枋さんはきっと、私がこっちに来て危険な目に遭わせない様にするために、にれさんと待つよう言っていたはずだ。それなのに、胸騒ぎがしたからと無我夢中でここまで来て、彼の優しさを無下にしてしまった。
申し訳なさを感じて謝ろうと頭を下げようとした時、「でも」と続けた彼の言葉に遮られる。それを不思議に思い蘇枋さんを見ると、困った笑みから一転ふわり、と優しい温かい笑みに変わった。
「桜君を助けてくれて、ありがとう」
「!」
(う、わっ……!)
まだ出会って時間は全然経ってないけど、初めて会った時から今まで、蘇枋さんは本当に優しく笑う人だ。
今は昔のことなんて何も思い出せないけど、こんなに温かく綺麗に笑う人に会ったことがないんじゃないかと思う。……この、緊張した心を柔らかくほぐす様な微笑みを。
「……?どうしたの?」
「!?」
何の反応を示さない私に、蘇枋さんが不思議そうに顔を覗き込んできた。突然近くなった距離に、ほぐされたはずの心臓が小さく締め付けられたのが分かった。
「い、いえ!そんな!私の助けなんていらなかった様な気がしますし!」
それが何だか恥ずかしかったり、こんなに感謝されるとは思わなかったりと、いろんな思いがごちゃ混ぜになって、自分の顔が熱くなるほど赤くなっていることを自覚する。
そんな顔を彼に見られたくなくて、背けながら慌てて否定した。