第2章 甘く苦いメランコリー
その隙に、その場から走って逃げ出した。
後ろから「またな」と五条先輩の愉しそうな声が聞こえた気がした。
それから、どうやって自室に戻ったのかは覚えていない。
部屋の扉を閉めたところで、緊張の糸が切れたようにずるりとその場に座り込んでしまった。
「どうして」
まだバクバクと大きな音を立てている胸元を押さえながら、呟く。
「なんで」
さっきから同じ疑問ばかりが頭の中を巡る。
答えなんか出ないことは分かっているのに。
私は電気をつけることなく、ふらふらとした足取りでベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて、大きく息を吸う。
寝返りをうつと、服に移ったのか、さっきまで隣にいた五条先輩の香りがして、顔が熱くなる。
まだ、私の身体に先輩の体温が残っている。
先輩に唇を指でなぞられた時の甘い痺れのような感覚も、射抜くような視線も、思い出すだけで、心が落ち着かなくなる。
「ああ、もう……っ」
私ばっかり振り回されて、悔しい。
でも、一番腹立たしいのは、そんな彼にドキドキしている自分自身だ。傑お兄ちゃんのことが好きなはずなのに。持て余した想いが行き場を失って彷徨う。
携帯を開いて、お兄ちゃんに電話をしようとして、何故か躊躇ってしまって止めた。
きっと、お兄ちゃんに今の気持ちを打ち明けても何も解決しない。逆に心配の種を増やすだけだ。
考えれば考えるほど、苦しくなる。
「……どうしたら、いいの」
途方に暮れた私の独り言が、静まり返った部屋に虚しく響く。私は、しばらくその場から動けずにいた。
結局、三時間ほどしか眠れないまま朝を迎えた。
少し頭が重くて体がだるい。
鏡で肌を確認すると、思ったよりは目立ちにくい程度に、五条先輩が残した赤い痕が鎖骨付近に残っていた。ホッとしたような、複雑な気分で制服に着替える。
「今日の午前は……そうだ、一年だけで廃ビルの調査するんだっけか」
人生初の脅迫を体験し、昨日の今日でいつも通りに振る舞う自信がない。
憂鬱な面持ちで朝食を食べ終え、重い足取りで集合場所へ向かうと、時間前にも関わらず、既に灰原くんと七海くんが待っていて、補助監督から説明を受けていた。
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