第1章 禍根【江戸後期:鬼舞辻無惨】
私はその後も彼女に、夫の情報を少しずつ与え始めた。
ある日は
「今日も人を4人殺し喰らった」
と。
その次の日には
「目をぎらつかせて喜々として人を襲い喰らっていた」
更に、紗枝が何かを察したのか、強い鬼になっているのではないかと聞かれたので、
「下弦の壱にまで成長した。牙羅(がら)という名だ」
と、教えてやった。
その時ばかりには過度に驚いて激高したが、私に怒りの炎をさらに強くしただけで、言葉だけで歯向かうことはしなかった。
新しい情報を得る度に耐性がついてか、再び表情を隠し、ただ怒りに震えるだけとなる。
だが、決して隠し通せないその感情故の健気な振る舞いがわたしの気分を良くしている。
そんな日々がふた月ほどたった頃、ふと昼下がりに部屋を訪れた時に、いつものように書物を読む後ろ姿が震えていた。
「何を読んでいる」
異変に気付いてすぐに声をかける。
「ここにありました御本を読んでいるだけです」
「戯け。ここにある書物は物語の本など1冊とて置いてない」
日の挿さぬ時間に差し掛かっても熱中してこの部屋で読んでいたのだ。
驚いている隙に取り上げた本は表紙背表紙からみてここにあったものに違いはない。ただ、その書物の端には、微かに墨の跡が残っていた。
それは、この時代の人間が使う筆跡とは異なる、鬼殺隊の隠密隊士が使う暗号だった。私は、彼女が私を欺き、外部と連絡を取っていることを瞬時に悟った。
「面白い」
私の口から笑みがこぼれた。この女は、私という絶対的な存在を前にして、抵抗する術がないと知りながら、密かに反撃の機会をうかがっている。私の支配が及ばぬところで、蝶が蜘蛛の糸を断ち切ろうともがいている。その健気さが、私の心を満たした。
しかし、その感情は、すぐに不快なものへと変わった。
「貴様は、私以外の存在に希望を抱いているのか」
私の問いに、紗枝は顔色一つ変えずに答えた。
「私には、この身を捧げた夫を弔うという使命がございます。そのために、為すべきことをしているだけです」
その言葉は、私への恐怖も、夫への思慕も感じさせなかった。ただ、彼女の決意だけが、冷たい刃となって私の心臓に突き刺さる。この女の心は、私が想像していたよりもはるかに深い場所に隠されていた。