第1章 禍根【江戸後期:鬼舞辻無惨】
私の手をとり、隣に並ぶように座らせる。
静かに押し倒されても、底冷えするような異様さに抵抗するのを忘れた。
紗枝は甘えるかのような仕草で私の胸にもたれるようにしてくる。
考えが解らぬ。
私に敵うはずのない人間が、なぜここまで落ち着き払っている。
「抱かぬのですか?いつものように…」
恍惚とした口調でその手は私の体をまとわりつくようにねっとりと滑っていく。
「ねぇ…無惨様」
初めて名で呼ばれる。
その一言は、冷たい刃で心臓を抉るような鋭さを感じた。
「わたしを…鬼にしたり、殺すことは…
今のあなたには出来ないのではないですか?」
その問いに、私の全身の血が凍った。彼女は、何も見えていないようで、私の行動のすべてを観察していたのだ。
私が彼女の絶望に安堵し、同時に虚無を感じていたことも、私が彼女に執着し、心をかき乱されていたことも、すべて見抜いていた。
「わたしも…、無惨様がわたしなぞに執着してくださるとは思いませんでした。わたしもあなたを殺すことはできません」
「しかし、わたしが死んだり、鬼にでもしてしまえば、無惨様に永遠に消えない傷を残すことができるでしょう」
這い上がって顔を覗き込んだ紗枝は、禍根の種を植え付けるように、頬や額、首筋に口づけて、頬を撫でてくる。
嘲笑うように私を見下ろしながら…。
「もっと…もっと…忘れられない女になりましょう」
彼女の瞳に、別の光が宿っているように思った。それは、絶望から生まれた、新たな復讐の炎だった。
夫を殺し、紗枝自身も死ぬ。それは、彼女自身の解放であると同時に、私を永遠に苦しめるための刃を喉元に突き付けてられてるという事実に他ならない。
私は、自分の心を支配できないという、初めての事実に気づき、激しい怒りと共に、言いようのない孤独感に襲われた。
私に跨り覆いかぶさったまま、何かに取り憑かれたかのように私の衣類を取り払い、体を弄ぶ。
何が起きているのか
未だに理解できぬ
それが、ただ私が、この状況を到底受け入れられず
体が動かないだけなのだとしても…。
いつからだ…。
いくつもの疑問符が体の動きも思考回路も奪って、ただされるがまま。