第1章 記憶と感覚。
幸いなことに、寝ている間に薬が効いたようだ。
頭痛はすっかり治まっていた。
それならば、やることはひとつ。
他にも異変はないか探索するべきだと立ち上がる。
まずはキッチンから、ウォールキャビネットとあらゆる戸棚、水とビールに携帯食のゼリーなど食生活が心配になりそうな冷蔵庫など、手当たり次第に探ってみたけれど…異常なし。
レストルーム、バスルーム、異常なし。
そして再度、あの寝室へ。
『もぉ…なんなのこれ…』
異質な存在感を放っているガラスケースの前に立った。
しばし観察をしてみる。
ガラスケースには取っ手がないのだ。
縁に指をひっかけても開く気配は一切ない。
ふと、とあるものが目に入った。
ふたつのガラスケースの右下に、電子的な何かがシールのように張り付いている。
なんとなく、親指をあててみた。
ピッと音を立てて、ひとつのガラスケースが映画のワンシーンのようにスタイリッシュに開いた。
『あ…あいちゃった…。指紋認証ってこと??』
しかし、なぜ?
登録なんてしたことはないし、身に覚えのない、記憶にもない…、ここで重要なことに気がついた。
記憶だ。
記憶をたどってみても、何もかもが足りない。
『私…』
様々な記憶はある。
例えば、家の間取りや家の中のあらゆるもの。
お酒の知識だって、車の好みだってわかる。
『誰…?』
それなのに自身に関することだけ、何処かに忘れてきてしまったように抜けている。
職業も、年齢も、名前でさえも…。
そう広くはない家の中を、レストルームに駆け出した。
大きな鏡の前に立つ。
『…これが、私?』
鏡に映る女性に、手を伸ばした。
ひんやりとした鏡の温度が指先に触れる。
レストルームを探索した時は、自身の姿など意識していなかったために気が付かなかった。
改めて意識してはじめて、鏡に映っている女性に見覚えがないことを知る。
かと言って、自身の姿を思い返そうとしても、何も浮かんできてくれない。
『…綺麗』
思わず声に出ていた。
淡いミルクティー色の髪。
きめ細やかな白い肌にほんのり色づく薄桃色の頬。
血色の良い潤う唇。
菫色の瞳に、アーモンドアイ、それを縁取る長い睫毛…。
そう、こんな状況にも関わらず、思わず声に出てしまうほどに、美しかった。
鏡に映った自分自身に見惚れていた。