第3章 episode.3 やさしい世界
とある建物の屋上の影。
俺はそっと息を潜めながら、正面のビルを見つめていた。
そこへ、足音を立てずにやってきた男。
同じFBI捜査官の、アンソニーだ。
「うーん。今日はターゲットに動きがなかったか」
双眼鏡片手に、アンソニーがそう言った。
今日は一日、とある違法薬物を密輸している団体のメンバーの男を追っていた。
まだ俺は帰国したばかりで時差や疲労があるだろうからと気遣って、アンソニーが夜の見張りを引き受けてくれている。
その代わり、俺は日中の見張りをしていたという訳だ。
そして今、日も暮れて。
丁度、見張りを交代する頃だった。
「そうだな。ヤツは一歩も外へ出ていない。お陰でこいつも空になってしまったさ」
そう言いながら、朝から退屈だった時間を表すかの様な、タバコの空箱をクシャリと握りつぶした。
「悪いな、シュウ。せっかく団体メンバーを特定して、お前に日本から戻ってもらったというのに」
「いや。いいさ。スナイパーはな。じっくり時が来るのを待つのが仕事だ。そして狙い時をしっかり見定める」
「はは。お前らしいや。今夜はどうする?お前が辛くなければこのまま張るか?夜の方が動きがあるかもしれないし」
「ああ…そうだな」
確かに。大体こういう標的は昼間は動かないもんだ。
動くなら、これからだろう。そう思っていつも通り頷いたが。
その瞬間、俺の腹の虫がぐう、と音を立てた。
「まぁ流石に腹が減ったろう。しばらく俺が張っているから、その間にメシでも食ってきたらどうだ」
メシ…。
そのアンソニーの言葉に、ふと…とある記憶が脳裏をかすめた。
それは、今朝の出来事だったから…
割と鮮明に浮かんできた。
『ごはんです、ご・は・ん』
『助けてくれたシュウさんに、感謝の気持ちを伝える10日間にしようって思ったんです』
『トマトかクリームかデミグラスのソースだったら、どれが好きですか?』
思い出した瞬間ごとに、彼女が浮かべた明るい花のような笑顔も一緒に思い出して。
「………。」
「おい。シュウ?どうした。ぼーっとして」