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七十二候

第34章 玄鳥去(つばめさる)


 音楽コンクール予選まであと10日。全快した私は仕事に、レッスンに励んでいた。
 音楽コンクールの3回に渡る予選と本選はそれぞれ演奏曲目が違う。多岐に渡る曲目をインプットしていく日々だった。知っている曲ばかりだが、今の自分の演奏へとアップデートしていく。
 コンクールで良い賞を受賞することはもちろん目標だが、最終的な目的は自分の音楽を多くの人に好きになってもらうことだし、もし失敗しても失うものはないし、死にはしない。意外と冷静で平常心を保てていた。

 今日のレッスンで秋田先生がこんなことを言った。
「表現の引き出しが増えたんじゃないの? 遠くにいる恋人のこと、喜びも苦しみも全部自分の糧になってるような、そんな音」
 救われた気がした。こんな思いをしてまで音楽をやっているんだから。徹を選びたい気持ちは嘘ではないが音楽は捨てられなかった。音楽と共存したかった。

 いよいよ秋の入口を感じる、少しだけ柔らかくなった空気。徹はそろそろシーズン入りする頃だ。今も地球の裏側で戦っているんだ。
 住む場所は遠くても、今日もお互い夢に向かって戦っているんだなと思うと、勇気が湧いた。リーグでバレーをしている徹が見たいし、生の声を聴きたい。徹に触れたいけど。
 作曲のために過去を思い出して整理をしていくうちに、あぁ、やっぱり今でも変わらず好きだし、徹に会いたいなと改めて思ってしまった。
 夢の途中なのに、「会いたい」なんていうこの感情はわがままなのだろうか。

「萌、テレビ見たよ。面白かった!」
 次の日の朝、徹からメッセージが入る。テレビというのは、所属する吹奏楽団であるウインドオーケストラ東京の密着取材の放送だ。3か月前に取材があり、最近放映されていた。
 6月の定期演奏会に向けた練習風景や団員へのインタビューがメインだが、合奏中に指揮者がおやじギャグをかましても、周囲は笑う中私だけギャグに気が付かずに真顔でいたことを笑われた。入団したばかりの新人に談笑を楽しむ余裕はなかった。それから楽器にスワブ(管内の水分を取る布)を通そうとしても、上手く楽器に入らずにしばらくもたもたしていたところもバッチリテレビに抜かれていたことも笑われた。
 プロとして立派に演奏している姿を見てもらいたかったけど、笑ってもらえたなら、それで気持ちが明るくなってくれたならよかった。
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