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七十二候

第30章 天地始粛(てんちはじめてさむし)


 部員たちは胸を張って家に帰るべく、一生懸命に涙を止めようとしていたが、なかなか泣き止まなかった。しかし日も傾いてきていたので、部を解散させたが、私は3年生だけを呼び止める。
「今日で引退だからさ、最後に部室を掃除して帰ろう」
「うん、そうしよう」と3年生のみんなが同意してくれた。

 1、2年生が帰ったことを確認し、顧問の先生にも了承を得る。
 私たちは思い出話をしながら掃除をした。
「入部したとき、仲田先生怖いと思ったんだよね」
「実際、練習厳しくて辞めちゃった子もいるしね」
「先輩も怖かったしね。まぁ、怖いから全国に行けたのかな」
「私たちは優しすぎた? でも優しい方がいいじゃん」
 棚からはみ出した譜面を整理する。それは去年の秋の文化祭で演奏した曲や基礎練習の譜面たちだった。そして譜面敷や、コードが絡まっているチューナーやメトロノームを整理する。どれも思い出の詰まったものたち。年季が入っているこれらの備品はその分過去から引き継がれてきた思い出が詰まっていた。
 思い出を確認しては、涙する3年のみんな。当たり前だ。私たちはほとんどの日々をここで過ごしたんだから。
「みんなが同期でよかった。じゃないと乗り越えられないこと、たくさんあった」
 私は床を雑巾で拭き終わり、同期にお礼を言う。
「うん、萌が部長でよかった」「音大絶対行ってよね」と温かい言葉をかけてくれた。
「私こそ、たくさん助けられたよ、ありがとう」
 ありがとう、本当に。かけがえのない3年間をありがとう。

 また打ち上げしようね、と約束しみんなを帰す。私は最近さぼっていたレッスンに向けて個人練習するから、と言い音楽室に残った。

 でも、そんな気になれなかった。しばらく音楽室で一人で魂を抜かれたようにぼうっとしていた。ずっと、ソロのことを考えていた。無事吹ききったけど、あれは完璧ではなかった。練習のようには吹けなかったし、やりたいと思っていた表現はできなかった。緊張して焦ってしまった。
 あのソロが完璧だったら、加点されていたら、もしかしたら……。
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