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七十二候

第27章 寒蝉鳴(ひぐらしなく)


「学校でも吹けてないのが分かったわ。休めって言われて帰ってきたんだじゃないの?」
「吹けてないのに休めない!」
 私はむきになって反論した。
「来てくれてありがとう、でも帰って大丈夫だから」
「そういって帰るわけないでしょ」
「もう……じゃあどうすれば……」
 絶対に徹の前では泣きたくなかった。上手に演奏できている姿しか見せたくなかったから、私はとても惨めな気持ちになっていた。
「ほら、いいから。ひとつひとつ整理しよう。萌に必要なのは練習じゃない」
 そういって徹は譜面を取り上げた。
「……最近何かあった?」
 しぶしぶ私はクラリネットを片付け始めた。
「県大会が終わって、東京にレッスンに行って、お父さんに会った。それだけなんだけど」
「そこで言われたことは?」
「レッスンはためになったしプレッシャーになることはなかったけどな……あ」
「あ?」
「……ううん」
 楽器ケースにクラリネットをしまったところで、母が麦茶とおやつを持ってきたので、徹はお礼を言って受け取った。
「なんか思い出した顔してたけど」
「ええと……高3でいろんなことが最後になるのと、東京に行ったらみんなとお別れになるのを再認識したんだ」
 徹は明らかに息を吞んだ。カラン……とグラスの氷の溶ける音がした。
「……それでやる気が空回りしてる感じ?」
 空回り。そう。最後だから失敗しちゃいけないと思ってたんだ。
「そうなのかな。空回りもあるし、上手く吹けていない焦りもあったのかな」
「何も最後じゃないんだよ。高校では最後でも、今やってることって通過点なんだよ」
「通過点……」
「俺たちは高校で終わるわけじゃない」
「うん……そう、そうだね」
 私は根本的なことを見落としていた。将来への通過点にすぎない高校生のコンクールを何か特別で神聖なものだと思っていた。もちろん、これが最後になる人も大勢いる。人それぞれ捉え方は違う。
「だからさ、萌。明日は部活ないでしょ?午後から時間空けて」
「え? う、うん」
 徹は麦茶を飲み干して、「ご飯食べなよ~」と言いながら部屋を出ていった。
 明日は何があるんだろう。楽しみというよりかは緊張して不安が勝っていた。
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