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七十二候

第21章 蓮始開(はすはじめてひらく)


 突然のメールをもらった。新人演奏家の演奏の機会を支援しているという楽器店より、リサイタルの開催を提案された。
 思わぬチャンスが舞い込んできた。本番は12月とのことで、まだ時間があるため快諾した。といっても、一から新たな曲に挑戦する時間はそう取れない。自分が過去に演奏してきた曲の中から選曲をすることになるだろう。
 私はつくづく運がいい。こんなにも仕事をいただけるとは大変ありがたいことだ。
 新婚の伴奏者のまゆにリサイタルの伴奏を今回も頼めないだろうかと、私はスマホで伴奏の依頼をした。返信があったのはその日の夜のこと。
「久しぶり! 実は妊娠したの。だから今回は難しいかも。でも私の知り合いで実績のある人を紹介するよ。私より上手いから安心して!」
 まゆは結婚してすぐに妊娠していた。そういう人生もあるだろう。好きな人とふたりで人生をどんどんと進めていく彼女が羨ましくないといえば嘘だ。好きな人がそばにいるのはどんなに素敵なことだろう。私にはそういう人生がやってくるのか。あんまりイメージが湧かなかった。
「そうなんだ、おめでとう! 暑い季節だし、身体には気を付けてね。何かあったら遠慮なく言ってね。そして紹介助かる。ありがとう」
 お祝いの言葉を返すものの、実のところ複雑であった。私の中の陰の部分が顔を出す。なるべく出したくないけど、どうしたって勝手に出てきてしまう。
 出産はきっと不安だらけだ。だから、彼女の力になりたいという気持ちも、もちろん嘘ではない。

 こういう複雑な気持ち、徹はどう克服したんだろう。


 徹の家でアイスを食べながら勉強をしていた7月の月曜日の夜。その日、徹の甥っ子の猛くんもバレーボールをやっており、徹は猛くんの付き添いをした帰り道に影山くんと遭遇したと聞いた。
 徹にとって影山くんは宿敵だが、影山から思わぬ相談を受けて、しぶしぶ回答したらしい。影山くんの圧に負けたと言っていた。
 徹のこういうところは偉いなと思う。絶対に内心は複雑なのに、敵に塩を送る行為。腐っても先輩後輩の関係だからだろうか。
 しかし、こうも思う。徹はアドバイスをしてますます力を付けた影山くんをも倒したかったのではないだろうか。
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