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七十二候

第13章 麦秋至(むぎのときいたる)


 私は服を着替え、クラリネットを片付け、徹はティッシュで涙をぬぐっていた。
「ねぇ、最後のって何?」
「これはね、今年日本でリリースされた曲なんだけど、聞いた瞬間に徹のことを思い浮かんだ曲なの。後で歌詞を調べてみて」
「えー今聞きたい。歌ってよ」
「歌か! ……まぁ、わかった」
 実は、私は歌を歌うことも好きだ。幼少期から家族の前でたくさん歌ってきて、おだてられたのが歌を好きになったきっかけだった。
「萌は歌も上手いからね。高校3年のとき歌ってもらったのをまだ覚えてるよ」
「あー。クラスのみんなと行ったカラオケとか、徹の誕生日のときとか……」
「それそれ。今日は萌の誕生日祝いなのに、俺ばっかりもらってばっかりだな」
「いいのいいの。わたしがそうしたいの。じゃあ……音外したらごめんね。歌ってみる」
 私は咳払いをし、伴奏音源を流して歌う。心を込めて。歌詞が伝わるように一言一句丁寧に。
 
 徹は再び顔をくしゃっと歪めた。やっぱり歌詞って音楽がダイレクトに伝わるんだな。やっぱりクラリネットだけでは伝わりにくいか……と、私は冷静に考えていた。
「なんだこれ、めっちゃいい。今までの自分を肯定してもいいんだなって思えた」
「ね。でしょう? 私の心も掴まれたんだよね」
「俺、情緒どうしちゃったんだ」
「辛いことあった?」
 徹は途端に目線を下げて考えてから言った。
「んー……まぁ、うまくいかないこともそれなりに。でも腐らずに頑張るよ」
「無理したくなるだろうけど、あまり無理しないでね」
「ありがと。萌もね。いや、萌こそね」
 徹は強調して言った。
「分かってますよー。あ、そしてね、明日動画サイトのチャンネルを開設しようと思ってて。この曲も載せるから聴いてね」
「えー! すげぇ。聴く。毎日聴く」
「ありがとう。視聴者増やせるように頑張る」
「あっ」と徹が声を漏らす。
「俺からもあってさ。明日東京に戻ったらきっと荷物届いてるから。開けてみて」
「プレゼント? ありがとう。送ってくれたんだね。徹センスのめっちゃ素敵なもの」
「うん。俺センス。きっと大丈夫…なはず…」
「なんで自信なさげなの」
 あははと笑いあう。隣に徹はいなくても、恋人らしい時間は過ごせたのではないだろうか。
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