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七十二候

第11章 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)


 コンサートの翌日。身体は疲労を引きずっていて重たかったが、早めに起床して身支度を整える。朝のニュース番組を見ようとテレビを付けると今日は雨だと知った。昨日の本番に雨じゃなくてよかった。
 テレビを見ながらコーヒーを飲んでいると電話がかかってくる。徹からだ。
 呼吸を整えて、意を決してえいっ、とスマホの応答ボタンを押した。

「徹? 練習お疲れ! もう家についた?」
 ちょっとよそ行きの声になってしまった。これは不自然だ。
「萌はおはようだね。うん、今チームメイトとご飯食べて帰ってきたところ。昨日はどうだった?」
 あぁ、徹の声だ。低くて穏やかで、疲れた身体には心地が良い。
「いい演奏出来たと思う。初めて池袋のホールで吹いたんだけどさ、響きがやばかった」
「おー。でっかいホールらしいね。いつか俺も聴いてみたい」
「うん、日本に来ることがあったら是非生の音を聴いて欲しいな。私もアルゼンチン公演があればいいのになぁ。アルゼンチンで演奏して、徹の試合を観戦するの。」
「はは、いいね。それ」

 いつか、の話をする。そのいつかが来るのか分からない。そんな不安を知ってのことか、徹は切り出した。
「まぁ、今はお互いやるべきことをやる、だね。まだ目標を果たせていないし。会えないのは辛いけど、萌の声を聞いたら元気出た」
「……そうだね。私も」
 この先、私は徹のそばにいられるのかな。一生アルゼンチンと日本との遠距離は嫌だ。
「萌は日本で、俺はアルゼンチンで頑張った先に、きっと答えがある」
「え?」
「なんとなく。今はまだがむしゃらでさ。俺、東京オリンピックの代表に入れるように頑張ってるんだよ」
「オリンピック! すごい……夢が叶うといいな」
「うん、全員倒すっていう、ね」

 徹がアルゼンチンでバレーをする大きな目的はバレーが好きだから、憧れの監督がいるから、という理由以外にもある。牛島くんや影山くんを始めとした、日本バレーボール界きっての豊作の世代と呼ばれる“妖怪世代”を全員倒すこと。学生時代、一度も全国大会に行けなかった徹のプライドをかけた野望。
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